水谷八也さんです!


「危機一髪」の翻訳の水谷八也さんです。
先日、稽古場にいらっしゃいました。
早稲田大学文化構想学部教授、そして、ソーントン・ワイルダー研究・翻訳の第一人者。
初めてお会いしましたが、とても気さくな方でした。
そして、想像していたより、ずっと若い!
「危機一髪」について、熱く語って下さいました。



 ソーントン・ワイルダーと言えば、まず思い浮かべるのが『わが町』でしょう。
私も大学生の時(1970年代)に、ペンギン版のワイルダーの戯曲集で読みました。
当時は、劇的なことがほとんど起こらない淡々とした舞台の展開に物足りなさを感じてました。
『わが町』の面白さと「すごさ」が分かり始めたのは中年の域に達してからです(笑)。
その戯曲集の2番目に入っているのが『危機一髪』です。
これを読み始めて、びっくりしました。
あまりに作風が違うからです。
最初はあまりに素っ頓狂な発想についていけず、本当に『わが町』と同じ作者なのだろうか、といぶかしながら読み進めましたが、戯曲の構造がつかめたとたん、「あ、そうか」と得心。
笑いました。そして一気に読了です。

 静謐(せいひつ)で能舞台を思わせるような『わが町』とは異なり、『危機一髪』は構造自体がおふざけで、中身も(表面的には)ドタバタのヴォードヴィル風で、いくつもの心憎いギャグが散りばめられ、大学生の私は『わが町』以上にこの芝居が好きになってしまい、コツコツと訳し始めたのでした。

 『危機一髪』は人類が数々の困難を危機一髪で乗り切ってきたことを三幕に収めているわけですが、何万年にもわたる歴史を三幕に収めること自体、もともと無理があります。
しかし、この「無理」にこのお芝居の面白さは集約されていると言ってもいいかもしれません。
私たちが通常体感できる範囲を超えた時間と現在を強引に舞台に乗せて、「今」という瞬間に結合させる手法はワイルダーお得意のものですが、これは演劇だからこそ出来ることだし、その効果が最大に発揮されるのは生の舞台以外にはありえない、と彼は考えていたと思います。
そして「今・ここ」の舞台から立ち上ってくるのは、「人類の存続」というとてつもなく巨大な「物語」です。

 主人公はアントロバスさんですが、これは「人」「人類」を意味するギリシア語「アンソロポス」からのワイルダーによる造語です。
ですから、アントロバス一家の物語は人類全体の物語ということになりますね。
中世の英国に道徳劇というのがあり、その中にタイトルがズバリ『人類』というのがあり、その主人公の名前がマンカインド(人類)というのですが、アントロバスの発想もこれとまったく同じですね。
人類全体の物語、ここにも無理がありますが、この無理が楽しい。

 井上ひさしのモットーは「むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをおもしろく」というものでしたが、ワイルダーのお芝居も同じだと思います。
人は生きているうちに一度や二度は、「なぜ自分は生きているんだろう」「なぜここにいるんだろう」と問うことがあると思います。
2011年3月11日を体験したあとでは、「なぜ私は生き残っているのだろう」という問いがふさわしいかもしれません。
1942年初演の『危機一髪』が直接その問いに答えることはありませんが、このお芝居の登場人物は、この問いを発します。
アントロバスは何度も生きることをやめようとするし、狂言回し的な存在のサビーナも「どうして生き続けなきゃいけないの?」と問います。
生きていることが当たり前の状態であると、このような疑問は持たないでしょうが、壁にぶち当たったり、己を否定されたり、思い通りにいかないというような「危機」に見舞われたとき、人はこの根源的な問いを発するのではないでしょうか。
そしてその危機の最大のものは、氷河でも、洪水でも、戦争でもなく、私たち自身の中に「いる」のではないか。
このお芝居はそんなことを問うているようです。

 『危機一髪』の終盤で疲れ果てたアントロバスは生きる気力を失いかけますが、しかし、困窮にある人々の声、家族への思い、そして人類の叡智の詰まった本に背中を押されて再び気力を取り戻します。
そして彼は、「わたしが求めているもの、それは新しい世界を築くチャンス、それだけだ。そして、神は常にわれわれにそれを与え続けてこられた。さらに神は(本を開き)われわれを導く声も与えて続けてこられた。それに、わたしたちを戒めるために、これまでわれわれが犯してきた過ちの記憶も」とつぶやきます。
2011年の春、少なくとも3月11日よりあとのことですが、劇団昴の制作の方から「こんな時期に上演すべき作品が何かないか」と問われたとき、すぐに思い浮かんだのが『危機一髪』であり、この台詞でした。
生き残った私たちがすべきことは、実にシンプルにここにまとめられていると思います。
チャンスが与えられている今、すべきことは、「声」を聞き、「記憶」を鮮明に保ち、考えることだと、『危機一髪』は語りかけているような気がします。

どんな舞台になるのか、楽しみですねぇ。ワクワクしながら、時々稽古場にお邪魔しますよ。

| 稽古場日記::危機一髪 | 23:24 | comments (x) | trackback (x) |

  
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