2020,12,24, Thursday
チャーリー・ゴードン役の町屋圭祐です。
この舞台、2020年は東北の演鑑連巡演からスタートしました
当初の予定では3月から始まる予定の東北巡演が、新型コロナウイルスの影響で4月に延期されました。
4月1日盛岡公演からスタート、2日秋田公演を行いましたが、その後のスケジュールは全て取り払われ、再度の延期となりました。
そして9月15日、九州演鑑連の巡演が下関からスタート。豪雨被害の影響で、ひとよし・くま公演は中止となってしまいましたが、10月28日長崎公演まで、38ステージを行うことができました。
11月から東北巡演が再開、3日鶴岡公演から27日会津公演まで(途中一時帰京する行程でしたが)、4月の2公演含め計16ステージを終える事ができました。
今年は、新型コロナウイルス禍でたくさんの公演が中止を余儀なくされました。
そんな年に54ステージも舞台に立たせて貰いました。
役者にとって演じる場は生きる糧です。
その場を与えて下さった九州・東北演鑑連の皆さんには、本当に感謝しかありません。
ステージを重ねて行くと、同じ台本を上演していても、作品の質が変遷してゆきます。
作品も、役者も、公演する場があって育っていくのだと、旅を通して実感しました。
個人的にも、チャーリー・ゴードンという役が自分に根付く感覚を持つことができました。「こんなに気負わず、役として生きることができるのか…!」と、未知の経験をさせて頂きました。
そして、12月17日〜20日東京藝術劇場シアターウエストで6ステージが行われました。
東京公演の為の稽古は、三日間だけ。
その内容は、巡演で1000人規模の劇場で行っていた演技を、シアターウエストサイズに圧縮することを主にした稽古でした。
まさに、九州・東北の皆さんに育てて貰った「アルジャーノンに花束を」の集大成の場であったのです。
そして僕の喉が、公演2日目のマチネで壊れてしまいました。
同日のソワレはダミ声になりました。
3日目には高い音が出なくなりました。
千秋楽には息漏れの音しか出なくなりました。
僕が九州・東北巡演を終え悟った事があります。
「誰にも期待しないこと」
長い巡演、キャストもスタッフも、全員が毎公演絶好調ではいられません。
だから僕は、より自分の自立を自覚するプラスの意味で、そう思ったのでした。
周りに期待するな、自分の事は自分で、と。
自立したはずの僕の喉が壊れたのは、ステージ数を重ね喉の疲れが蓄積したからでは決してありません。
乾燥が要因です。
僕の、冬場の乾燥対策が甘かったからです。
「僕は喉は強いのだ」という過信があったからです。オオバカヤロウです。
しかしながら、周りに期待しない僕が喉をやってしまった時、助けてくれたのは、周りの人達でした。
声を奪われ途方に暮れている僕に対し、男性楽屋では、
金子さんが、おこりんぼのニーマー教授とは別人の、優しい声がけで気遣ってくださいました。
宮本さんは喉の秘薬を某ルートから入手してくださいました。
研志さんと三輪さんは、喉に良いマッサージをしてくださったし、
翼さんは「とっておきだよ」と喉の薬やお茶をくれ、また、バートとチャーリーの場面でも影ながらサポートをしてくださいました(真のイケメンとはこうしたものなのです)。
江﨑さんは楽屋の鏡前が隣りだったけど、僕が声が出ないのを解って、一緒に黙ってくれました。
加藤くんは、不甲斐ない先輩を演技で引っ張ってくれました。
しのぶさんは女性楽屋から何度も僕の状態を見にきてくださり、励ましたり、アドバイスをくださり、「喉には肉よ!肉!」とカツサンドを差し入れてくださいました。
大矢さん、市川さん、染谷さん、さくらさん、真理子も、いつも通りの…、いや、時にはそれ以上の演技で僕を引っ張ってくださいました。女優ってスゴイ……
劇団員スタッフの久也さん、落合撤、近藤、笹井は、常に袖に温かい飲み物を用意してくれました。(余計な仕事を増やしてごめんなさい。)
同じく衣装部の新藤は、急遽使うことになった僕専用のピンマイクを、ヘアピンで上手に固定してくれ、のど飴もくれました。
音響オペレーターの今西さんには特にご苦労をかけてしまいました。
かすれて小さい僕の声を拾うため、公演3日目には舞台前面にフットマイクを設置。
千秋楽には、さらに出なくなった僕の声に備え、ピンマイクを仕込んでくださいました。
「バタバタしちゃってごめんねー」と、いやいやその原因を作ってるのは僕なのに…
制作の村上さんは、病院を手配してくださいました…本来の制作業や、毎公演の客席消毒作業もあるのに。
その病院には、代表の荒川さんが付き添ってくださいました…息を弾ませ、事務所から大急ぎで来てくださいました。
まだお世話になった方々はいるのですが、長くなりすぎるので書ききれません。
誰にも期待してなかった僕を、こんなにも多くの人達が助けてくれました。
そして驚くべきことに、誰ひとりとして僕を責め立てる人はいませんでした。
すごいチームです、本当に。
僕は自立などしていませんでした、素晴らしいスタッフの方々とキャスト陣に支えられていたのでした。
そして愚かな悟りはどこかに消え去りました。
東京公演を観にご来場くださったお客さま、申し訳ございませんでした。
観劇したうえで、物語の展開が分からなかったり、登場人物の関係性が見えなかったのでしたら、それは僕の責任です。
しかしながらカーテンコールで、お客さまは拍手を下さいました。
主人公の声はカスカスなのに、ダブルコールまで頂く回もありました。
きっと、僕の不十分なセリフを、お客さまが想像力で補填して下さったのだと思います。演劇のスゴイところは、舞台で起きることと、お客さまとの想像力が融合して完成するところです。
また、この舞台は、チャーリー・ゴードンにだけ感情移入できるわけではありません。
アリス・キニアン先生、芸術家フェイ、研究所の人々、パン屋の人々、チャーリーの家族…お客さまはそのいずれかに共感して下さった。
この舞台は、チャーリーの物語というよりも、チャーリーを取り巻く人々の物語なのだと思います。
そういったこともあって、お客さまは拍手をくれたのかな…。
あらためて、東京公演にご来場下さった皆さま、本当にありがとうございました!
そして九州演鑑連の皆さん、東北演鑑連の皆さん、ありがとうございました!
来年も劇団昴をどうぞ宜しくお願い致します。
2021年、劇団昴は四つの公演が用意されています。
1月20日からはさっそく、「プカプカ漂流記」が上演されます。
……いったい、どんな年になるのでしょう…。良くなるのだろうか。いや、良くなってほしい。
どうか神さま仏さま、劇場でお客さまと役者が思いを共有する場を奪わないで下さい…!
と願ってやみません。
町屋圭祐
この舞台、2020年は東北の演鑑連巡演からスタートしました
当初の予定では3月から始まる予定の東北巡演が、新型コロナウイルスの影響で4月に延期されました。
4月1日盛岡公演からスタート、2日秋田公演を行いましたが、その後のスケジュールは全て取り払われ、再度の延期となりました。
そして9月15日、九州演鑑連の巡演が下関からスタート。豪雨被害の影響で、ひとよし・くま公演は中止となってしまいましたが、10月28日長崎公演まで、38ステージを行うことができました。
11月から東北巡演が再開、3日鶴岡公演から27日会津公演まで(途中一時帰京する行程でしたが)、4月の2公演含め計16ステージを終える事ができました。
今年は、新型コロナウイルス禍でたくさんの公演が中止を余儀なくされました。
そんな年に54ステージも舞台に立たせて貰いました。
役者にとって演じる場は生きる糧です。
その場を与えて下さった九州・東北演鑑連の皆さんには、本当に感謝しかありません。
ステージを重ねて行くと、同じ台本を上演していても、作品の質が変遷してゆきます。
作品も、役者も、公演する場があって育っていくのだと、旅を通して実感しました。
個人的にも、チャーリー・ゴードンという役が自分に根付く感覚を持つことができました。「こんなに気負わず、役として生きることができるのか…!」と、未知の経験をさせて頂きました。
そして、12月17日〜20日東京藝術劇場シアターウエストで6ステージが行われました。
東京公演の為の稽古は、三日間だけ。
その内容は、巡演で1000人規模の劇場で行っていた演技を、シアターウエストサイズに圧縮することを主にした稽古でした。
まさに、九州・東北の皆さんに育てて貰った「アルジャーノンに花束を」の集大成の場であったのです。
そして僕の喉が、公演2日目のマチネで壊れてしまいました。
同日のソワレはダミ声になりました。
3日目には高い音が出なくなりました。
千秋楽には息漏れの音しか出なくなりました。
僕が九州・東北巡演を終え悟った事があります。
「誰にも期待しないこと」
長い巡演、キャストもスタッフも、全員が毎公演絶好調ではいられません。
だから僕は、より自分の自立を自覚するプラスの意味で、そう思ったのでした。
周りに期待するな、自分の事は自分で、と。
自立したはずの僕の喉が壊れたのは、ステージ数を重ね喉の疲れが蓄積したからでは決してありません。
乾燥が要因です。
僕の、冬場の乾燥対策が甘かったからです。
「僕は喉は強いのだ」という過信があったからです。オオバカヤロウです。
しかしながら、周りに期待しない僕が喉をやってしまった時、助けてくれたのは、周りの人達でした。
声を奪われ途方に暮れている僕に対し、男性楽屋では、
金子さんが、おこりんぼのニーマー教授とは別人の、優しい声がけで気遣ってくださいました。
宮本さんは喉の秘薬を某ルートから入手してくださいました。
研志さんと三輪さんは、喉に良いマッサージをしてくださったし、
翼さんは「とっておきだよ」と喉の薬やお茶をくれ、また、バートとチャーリーの場面でも影ながらサポートをしてくださいました(真のイケメンとはこうしたものなのです)。
江﨑さんは楽屋の鏡前が隣りだったけど、僕が声が出ないのを解って、一緒に黙ってくれました。
加藤くんは、不甲斐ない先輩を演技で引っ張ってくれました。
しのぶさんは女性楽屋から何度も僕の状態を見にきてくださり、励ましたり、アドバイスをくださり、「喉には肉よ!肉!」とカツサンドを差し入れてくださいました。
大矢さん、市川さん、染谷さん、さくらさん、真理子も、いつも通りの…、いや、時にはそれ以上の演技で僕を引っ張ってくださいました。女優ってスゴイ……
劇団員スタッフの久也さん、落合撤、近藤、笹井は、常に袖に温かい飲み物を用意してくれました。(余計な仕事を増やしてごめんなさい。)
同じく衣装部の新藤は、急遽使うことになった僕専用のピンマイクを、ヘアピンで上手に固定してくれ、のど飴もくれました。
音響オペレーターの今西さんには特にご苦労をかけてしまいました。
かすれて小さい僕の声を拾うため、公演3日目には舞台前面にフットマイクを設置。
千秋楽には、さらに出なくなった僕の声に備え、ピンマイクを仕込んでくださいました。
「バタバタしちゃってごめんねー」と、いやいやその原因を作ってるのは僕なのに…
制作の村上さんは、病院を手配してくださいました…本来の制作業や、毎公演の客席消毒作業もあるのに。
その病院には、代表の荒川さんが付き添ってくださいました…息を弾ませ、事務所から大急ぎで来てくださいました。
まだお世話になった方々はいるのですが、長くなりすぎるので書ききれません。
誰にも期待してなかった僕を、こんなにも多くの人達が助けてくれました。
そして驚くべきことに、誰ひとりとして僕を責め立てる人はいませんでした。
すごいチームです、本当に。
僕は自立などしていませんでした、素晴らしいスタッフの方々とキャスト陣に支えられていたのでした。
そして愚かな悟りはどこかに消え去りました。
東京公演を観にご来場くださったお客さま、申し訳ございませんでした。
観劇したうえで、物語の展開が分からなかったり、登場人物の関係性が見えなかったのでしたら、それは僕の責任です。
しかしながらカーテンコールで、お客さまは拍手を下さいました。
主人公の声はカスカスなのに、ダブルコールまで頂く回もありました。
きっと、僕の不十分なセリフを、お客さまが想像力で補填して下さったのだと思います。演劇のスゴイところは、舞台で起きることと、お客さまとの想像力が融合して完成するところです。
また、この舞台は、チャーリー・ゴードンにだけ感情移入できるわけではありません。
アリス・キニアン先生、芸術家フェイ、研究所の人々、パン屋の人々、チャーリーの家族…お客さまはそのいずれかに共感して下さった。
この舞台は、チャーリーの物語というよりも、チャーリーを取り巻く人々の物語なのだと思います。
そういったこともあって、お客さまは拍手をくれたのかな…。
あらためて、東京公演にご来場下さった皆さま、本当にありがとうございました!
そして九州演鑑連の皆さん、東北演鑑連の皆さん、ありがとうございました!
来年も劇団昴をどうぞ宜しくお願い致します。
2021年、劇団昴は四つの公演が用意されています。
1月20日からはさっそく、「プカプカ漂流記」が上演されます。
……いったい、どんな年になるのでしょう…。良くなるのだろうか。いや、良くなってほしい。
どうか神さま仏さま、劇場でお客さまと役者が思いを共有する場を奪わないで下さい…!
と願ってやみません。
町屋圭祐
| 稽古場日記::アルジャーノンに花束を | 20:48 | comments (x) | trackback (x) |
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