「親の顔が見たい」近畿編 永井誠 (2)
…まぁね、確かに昨日書きましたよ、

『明日も当欄は引き続きワタクシが、「花はナゼ散るのか」について、哲学的に語ります!』と。

…まさか真に受けようとは…。

文脈からしてウケ狙いの単なるユーモアであることは、賢明な読者皆様ならばお分かり頂けると思うのですが…

ブログ副係長の宮本さんにはお分かり頂けなかったのか、はたまた分からないフリをしている確信犯なのか…

ともあれ、本日も引き続き当欄を担当いたします“可哀想なくらいイイひと”永井です。


えーと…
「花はナゼ散るのか」でしたっけね、予告したテーマは。

「花はナゼ散るか。」

それは、「咲いたから。」です。

咲かなければ散らない。
咲いちゃったから散るのです。



稽古場の真ん前の、この早咲きの桜も、じき散ります。
ナゼなら…咲いちゃったから。ああ諸行無常。。

はい?
禅問答みたい?

似たような禅問答に
「人はナゼ生まれるのか?」「親が産んじゃったから」というのがあります。

「なのにナゼ親の思う通りに子供は育たないのか」
それはぜひ、
「『親の顔が見たい』を御覧頂き、じっくりお考えください」、と。

あ~良かった、うまく繋がって。昨日から、いったい何のブログやら分かんなくなっちゃってましたからね。
ぶっちゃけ私このブログを、お気に入りの歌を発表する場として利用しておりますので。

しかしまぁ、このブログもねぇ~
長いことやってますからねぇ…昴史上最長。

いざ旅が始まれば、書きたい事は盛り沢山になるわけなんですが、

ことに、変わり映えしない『稽古場編』は…
ネタに困るわけですよぉ…。
稽古場全景は、初日に姉崎係長が載せちゃうし。新スタッフの田徳クンも紹介しちゃうし…。

出演者はもとより、舞台上の大道具・小道具なんかも、とっくの昔にあらかた紹介しちゃったわけで…去年なんか、養生テープまで紹介されちゃってましたからね。。

かくなる上は仕方がない、数少ない残り札を切りましょう、
えいやっ!



私が演じます新聞店長の持ち小道具、携帯電話の、通称“ミチコちゃん”です。

劇の内容をご存知の皆様には、この命名が決してメルヘンチックなものではない事はお分かり頂けることと思いますが、

それはさておき、ご注目いただきたいのはその形状。

二つ折りの旧式、いわゆる“ガラ携”なのです。
劇中、携帯電話はもう一台使われますが、そちらもガラ携。

スマホが無い。

つまり、
大まかには『現代社会派劇』に分類されるこの作品ですが、厳密には『今よりちょっと昔』が、このドラマの社会背景というわけです。

にもかかわらず、観劇後に「今現在の話かと思った」「全く古くなっていない」とのご感想を数多く頂けることは、演じる側としては大変嬉しいことではあります。

が、その一方でそれは『いじめが有ることが、ごく普通であると感じてしまう世の中』に、いつの間にかなってしまっている事の、証左と言えるのかもしれません。


社会派劇といえど、その上演の目指す所は社会の改善などといった大それたものではなく、あくまで舞台上のドラマを純粋に味わっていただくものだと思っています。

とはいえ、その内容の深さや重さは「社会の諸問題を憂うオトナであってこそ感じ取っていただける」、それもまた社会派劇の特質です。

いじめ撲滅推進法の施行以降、その報道は一時期よりは減っているように感じられます。

しかし世はスマホ時代。子供達の身の回りにはブログ、ツイッター、ライン…目に見えない情報網だらけ。
水面下で行われるいじめの特性を考えれば、知らぬ間に、より身近な範囲にまでその脅威が広がっているであろう事は想像に難くありません。


そこで、
これから『親の顔』を御覧頂く近畿ブロックの会員の皆様に、一つお願いしたい事があります。

例会後、感じたことをぜひ口に出して誰かに話してみてください。
まずはお隣のかたに。次にロビーでお友達やサークルのお仲間に。そしてお家に帰ってご家族に「こんなお芝居観たよ~」と。

演出家いわく「学校時代を経験していないオトナはまずいない」「子供じゃなかったオトナはいない」…話が弾むこと請け合いです。

劇の感想も、いじめに対する意見も人それぞれ違うことでしょう。が、それでいいと思うのです。それぞれのうちに、いや、もしかするとその全てに、いじめを無くす手がかりが含まれているのかもしれません。

専門家が唱える『いじめを減らす法』には、なるほどと膝を打つものがあります。即効性のありそうなものが多い点はさすがです。

が、それとは別に、私がこれまで会員の皆さんと話し合った中で、時をおうごとにジワジワと響いてきたいじめ解決法があります。
即効性はありません、いわば漢方薬です。そのぶん根本治療に近いのですが…

その方法とは…

『いじめをする子を育てない』

いじめる側がいなければいじめは成立しないわけです。

「何を当たり前なことを」「心配なのはいじめられる事だ」…

ごもっとも。

なのですが、
劇中でも語られるとおり、現代のいじめは『いじめられる子は一人。に対していじめる側は多数。』
つまり、可能性としてはいじめる側になる確率の方が高いわけです、現代の子供は。

もちろんいじめにも度合いの軽重はあるでしょう。ですから「どんなに軽いいじめもしない子供」に、世の全ての親が育てる。
「我が子はいじめをする子供に育てたい」…そんな親はいないでしょう。
一見、高過ぎる理想のようですが、…要は「自分の子供を正しく教育したい」という当たり前の欲求通りに、親が生きる。それだけなんです。

「いじめを無くすには、自分の子供をいじめる子にしない」

…え?
また禅問答みたい?

「花は咲くから散る」
「いじめる子がいるからいじめはある」

…似てなくもないですが、

花は散ってもまた咲くけれど、

人はそんなに強くないわけですから…ね。


余談ですが、
昨日のブログ冒頭の「花はナゼ咲くの~いつか散るのに~」の歌の、正式な曲名は『虹』。

サビは、「誰かが、どこかで、君を愛してる。」…なんだか、この芝居の中の、私の役割にも通じるような歌詞でもあります。。

…さあてと、
明日の稽古は“3場”。
私も出ます。

というわけで、明日の投稿は私ではありません。断じて!


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副係長の宮本で~す。
ゴメン、全然っ、文脈、読めてませんでした。
でも、君に頼んで良かったよ。
花からの無理やりのこじつけにしては、なかなか良い文章だ。
「花は散ってもまた咲くけれど、人はそんなに強くない」なんてところは憎いねえ。
しかし、これだけの長文、君のガラ携(小道具ではなく)で打つのは大変だっただろう。
御苦労さん!



| 地方公演::親の顔が見たい | 23:19 | comments (x) | trackback (x) |

  
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