ラインの監視」「人間が人間であるということ」
「ラインの監視」本日の担当は準劇団員の木村雅子です!!

今回の担当したブログの中で、二回程歴史の話を書きました。

今回は若輩者ですが、人間という生き物について最近考えていることを。

「良心」

という概念は一体何を基準に作られ、なんのきっかけで崩れさるものなのでしょうか。

私は今回の「ラインの監視」の資料集めにあたり、沢山の映画を観ました。第二次世界大戦、スペインの内戦、ほとんどが悲劇ですが、持っているテーマは色々なものでした。


しかし、 どの映画においても共通していたのは、「疑う」という人間の心でした。そこには敵も味方もありません。「疑う」ということについては、自分以外の全ての人間が敵になり得ます。
何でもないシャワーが、ガス室のガス発生装置だと疑わずにはいられなくなります。

誰を信じてよいかわからず、人は人のためを考えることが出来ず、自分が助かることだけを考えるようになります。そして、自分が利益を得るために他人を売り始める人も出てきます。

人間を人間とするものは何なのかは、まだ私には分かりませんが、「疑い」だらけの世界の中で、人間でいるために必要なことを、この「ラインの監視」の稽古の中で幾つか見つけました。

石田さんの演じます、クルト・ミューラーという人は間違いなく「人間」でいられた人でした。

昨年の本公演「汚れた手」の主人公ユゴーとは、正反対の人間であることは確かです(笑)


さあ、11月に入って参りました!!

本番まであと12日!!!!

写真は稽古場より、自主稽古中の先輩方をパシャリ。

先輩


木村雅子

| 稽古場日記::ラインの監視 | 10:04 | comments (x) | trackback (x) |

  
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