2024,05,10, Friday
ウォーリー医師役の磯辺万沙子です。
このウォーリー医師は、戯曲上では本来男性の役で、この『マーヴィンズルーム』を映画化した『マイルーム』では、ロバート・デ・ニーロが演じた役です。
ま、それを私(とりあえず女性)が演じるのですから、「何で私やろ〜」って、演出の田中壮太郎さんに聞きたいような〜、聞きたくないような〜、ま、今のところそんな感じです。
いずれにせよ、年を重ねると、おばさんだか、おじさんだか境目は分からなくなりますから、こんな感じでいいのかと、思ったりしております。
さてさて、私がとにかくキャッチボール(会話を交わす)する相手は、ベッシー役の米倉紀之子さんです。
米倉さんとの共演は、彼女のデビュー作まで遡ります。
1998年8月3日〜9日までの短い公演でしたが、その準備はものすごく、エネルギーも練習も一年以上費やした、アーサー・ミラー作『プレイング・フォア・タイム~命奏でて』という芝居での共演が最初です。劇団昴ザ・サード・ステージ公演で、私の企画制作。出演もしました。あー、今思い出してもどうしてあんなことが出来たのか?とんでもない作品でした。
出演者総勢44人!アウシュビッツの中に、楽器を弾けるからという理由で生かされたユダヤ人女性たちがいて、ガス室へ送られるユダヤ人へ行進曲を演奏したり、ドイツ人将校のためにベートーヴェンを演奏したりして生き残っていたという実話です。
オーケストラの生演奏。ベートーヴェンの「運命」や、アウシュビッツ行進曲やスッペの曲やら何曲も演奏しなければならなかったので、全く楽器を触ったこともなかった女優たちが必死で一年以上かけて練習しました。
私はバイオリン!
米倉さんの役マリアーヌは、楽器が弾けないのに生かされた複雑な役どころで、カポに強姦されたり、盗んだり、とにかく激しすぎる役でした。舞台の上での強姦シーンは凄まじかった。
初舞台でこんなハードな役を。。大変だっただろうと思います。
主役の松谷さんと共に、ロンドンから来たムーブメントのイラン・レイシェルさんとの練習が、私たちの合同練習の後に毎日何時間も行われていました。
本番5分前に、「キ~シ~コ~」と呼びながら、細かい動きの新たなアイディアを思いついたイランさんが舞台袖までやってきて、開演を押してでも、稽古をしたりした日もあり、あんな経験は後にも先にもあの時が初めてでした。
一年生の紀之子ちゃんは、さぞかし混乱混乱!だったと思います。でもそれを乗り越えていく紀之子ちゃんの逞しさと頑張りは感動的でした。
そして、2003年の「RADA in TOKYO 10周年記念公演」、ノエル・カワード作、ニコラス・バーター演出『花粉熱』では、私の娘のソレル・ブリス役!
これもしんどかったね!
昼はRADAのワークショップを受け、夜は『花粉熱』の稽古!
私はピアノの弾き語りでシャンソンも歌いました。そのピアノの練習もやりながら、ワークショップでの様々な戯曲や課題に取り組んだり、肉体訓練やボイスの訓練やら。。
そして、『花粉熱』の稽古!脳が破裂しそうな毎日。
紀之子ちゃんは、破天荒なお転婆娘!
あの真面目な紀之子が、とんでもないファンキーな役。
とにかく、朝早くから夜中まで一日中稽古場にいました。でも最高に面白い作品でした。血と汗と涙?(は流してないけど)の成果はあったと自負しています。素敵な思い出です。
信じられないほど、あっという間に時は過ぎたんですね。
『プレイング・フォア・タイム』と『花粉熱』の思い出深いチラシや写真を皆様に見ていただきたかったのですが、我が家の資料の山をひっくり返す勇気も無く、皆様の想像で補って下さい。
そのほかにも、
2000年 「罪と罰」
2002年 「フィリップの理由」
2012年 「危機一髪」などなど、紀之子ちゃんとの共演作品は、ことごとく、色んな意味でしんどかった。でもその向こうに道が開ける、思い出深い作品ばかりです。
さて、この『マーヴィンズルーム』も、そのそれぞれの登場人物の人生をリアルに舞台に再現しお客様に伝え無ければなりません。
演出の田中壮太郎さんの嘘を許さない厳しい眼差しのその中で、右往左往しながらの稽古の日々です。
紀之子ちゃん!
平坦な道などどこにもない。でも、私たちの目指す道は間違いはないよ!
きっと素敵な思い出にいつかなるでしょう。
| 稽古場日記::マーヴィンズルーム | 21:52 | comments (x) | trackback (x) |
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